松本生太(読み)マツモト セイタ

20世紀日本人名事典 「松本生太」の解説

松本 生太
マツモト セイタ

明治〜昭和期の教育家,弁護士 京浜女子大学創立者。



生年
明治13(1880)年4月19日

没年
昭和47(1972)年7月29日

出身地
岡山県

学歴〔年〕
岡山師範学校〔明治30年〕卒,日本大学〔明治40年〕卒,京都帝国大学法学部〔大正11年〕卒

経歴
岡山で小学校長を歴任後、日大を経て、大正2年足尾銅山実業学校。京大卒業後横浜市社会課長。昭和6年日大高師から教授兼総務部長、8年帝国女子医学薬学専門学校教授兼主事。11年神奈川県川崎に京浜女子工芸学校を、次いで京浜高等女学校を創立。18年京浜女子家政理学専門学校を設立。戦後25年京浜女子短期大学と改めて再建、付属校、園を併設、34年京浜女子大学(現・鎌倉女子大)とした。また日本私立短期大学協会長、私立学校教職員共済組合理事長などを歴任。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松本生太」の解説

松本生太 まつもと-せいた

1880-1972 明治-昭和時代の教育者,弁護士。
明治13年4月19日生まれ。昭和6年日大教授,同年弁護士開業。18年京浜女子家政理学専門学校をつくり,短大移行をへて,34年京浜女子大(現鎌倉女子大)を設立した。日本私立短期大学協会会長。昭和47年7月29日死去。92歳。岡山県出身。日大,京都帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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