松村粛(読み)マツムラ ススム

20世紀日本人名事典 「松村粛」の解説

松村 粛
マツムラ ススム

大正・昭和期の衛生学者 千葉大学名誉教授。



生年
明治19(1886)年5月

没年
昭和48(1973)年6月9日

出生地
愛媛県

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔大正5年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔大正14年〕

経歴
東大衛生学教室、千葉医専講師、大正9年欧米留学、12年教授。昭和3年中国、仏印などへ脚気病研究のために出張、4年米国、南米出張。14年興亜院文化部長となり、以後大東亜省参事官、南京大使館参事館、日赤成田病院顧問などを務めた。著書に「脚気病原論」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松村粛」の解説

松村粛 まつむら-すすむ

1886-1973 大正-昭和時代の衛生学者。
明治19年5月3日生まれ。大正12年千葉医専教授。のち興亜院文化部長,大東亜省参事官,南京大使館参事官などを歴任。昭和48年6月9日死去。87歳。愛媛県出身。東京帝大卒。著作に「脚気病原論」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android