栗川庄(読み)くりかわのしよう

日本歴史地名大系 「栗川庄」の解説

栗川庄
くりかわのしよう

奈良東大寺領の初期荘園。後述する条里坪付によれば、福井市南郊の中荒井なかあらい引目ひきめ江端えばた・下荒井下莇生田しもあぞだ下河北しもこぎた一帯に比定される。天平勝宝元年(七四九)五月、東大寺野占使法師平栄・造寺司史生生江臣東人等によって点定され寺領となった(天平神護二年九月一九日付「越前国足羽郡鷹山施入状」東南院文書)。寺田整理に関する天平神護二年(七六六)一〇月二一日付の越前国司解(東南院文書)には、改正田として栗川村田一町一段、相替百姓口分田并買墾田として栗川村田五町(このうち乗田相替八九歩・百姓口分相替四町三段五五歩・百姓墾田相替六段二一六歩)の記載があり、その条里坪付は、西南三条六路田里、西南四条六桑小田里・七桑原田西里、西南五条七葦原田里にわたっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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