榎並和澄(読み)えなみ わちょう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「榎並和澄」の解説

榎並和澄 えなみ-わちょう

?-? 江戸時代前期の和算家
大坂の人。寛永年間(1624-44)の生まれか。承応(じょうおう)2年(1653)「参両録」をあらわす。同書で「塵劫記」中の遺題をはじめて解く。商立術式も案出した。通称権右衛門著作に「暦学正蒙」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の榎並和澄の言及

【遺題継承】より

…多くの数学者がこの《塵劫記》の遺題に挑戦した。初めて,この難問の解答を公開したのは榎並和澄(えなみともすみ)である。榎並は12年後の53年(承応2)に《参両録》を出版し,その中に《塵劫記》の遺題のいくつかに解答を示した。…

【塵劫記】より

…この小型3巻本はそれまでの内容を大きくあらため,また増補した部分も多いが,なかでも大きな特徴は,世間の数学者に挑戦する問題12問を巻末に掲載したことにある。この問題を遺題というが,12年後の53年(承応2)に,榎並和澄(えなみともすみ)はその著《参両録》の中で,《塵劫記》の遺題の一部に解答を示し,自己の出題8問を示し,ここに前者の解答と自己の出題を示すというリレー式の問答である遺題継承が始まった。遺題継承により江戸初期の数学はまたたくまに高度な数学になった。…

【和算】より

…この問題は多くの数学者に興味を与えた。これに初めて答えを公表したのが榎並和澄(えなみともすみ)著《参両録(さんりようろく)》(1653)である。榎並は,吉田の問題を批判し,自分ならもっとよい問題が提出できるとし,8問を巻末に付した。…

※「榎並和澄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」