江戸初期の数学書。著者吉田光由(みつよし)は豪商角倉家の一員である。吉田は,中国の《算法統宗》を一族の角倉素庵から教わり,これを手本としてまとめたのが《塵劫記》(1627初版)である。《算用記》《割算書》の影響もないではないが,懇切ていねいに説明された絵入り教科書は爆発的な売行きを示し,著者の没後も続けてベストセラーとなり,江戸時代を通してもっとも読まれた本の一つとなった。多くの学者が幼少時に勉強した本の中に《塵劫記》を入れている。その説明はていねいでできるだけ多く絵を入れ,絵を見るだけでも楽しく理解できるように著作されている。大きな数の単位,小数の単位,度量衡,九九,そろばんによる乗除,単位の換算,買物,分配,比例,検地,体積・面積,普請,開平・開立等々くわしく説明され,当時必要とされる数学はみな含まれている。初め大型4巻本で,そのすぐ後に数学遊戯の問題を含めて5巻本とした。1631年(寛永8)には整理しなおして3巻本とした。このとき,一部の挿絵には色を入れて,朱,緑,黄,黒の4色,あるいは3色刷りとした。多色刷りの最初といわれる。初版のすぐ後何回も版をあらためたが,34年には小型4巻本,41年には小型3巻本を出版している。この小型3巻本はそれまでの内容を大きくあらため,また増補した部分も多いが,なかでも大きな特徴は,世間の数学者に挑戦する問題12問を巻末に掲載したことにある。この問題を遺題というが,12年後の53年(承応2)に,榎並和澄(えなみともすみ)はその著《参両録》の中で,《塵劫記》の遺題の一部に解答を示し,自己の出題8問を示し,ここに前者の解答と自己の出題を示すというリレー式の問答である遺題継承が始まった。遺題継承により江戸初期の数学はまたたくまに高度な数学になった。《塵劫記》は数学ばかりでなく,日本人の文化的知識を高めたことで高く評価されてよい。
執筆者:下平 和夫
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江戸初期の数学書。吉田光由(みつよし)の著。「じんこうき」とも読む。「塵劫」は仏教のことばで、計り知れないほどの長年月であることをいう。「塵劫記」は長年月たっても変わらない真理の書という意味を込めている。1627年(寛永4)初版が出版された。これを記念して1977年(昭和52)京都・嵯峨(さが)の常寂光寺(じょうじゃっこうじ)に記念碑が建てられた。この書の初版は美濃(みの)版4巻、その内容は、大数(大きい整数)の名、小数の名から始まって、八算(はっさん)(1桁(けた)の割り算)、見一(けんいち)(2桁以上の割り算)、米の売買、金銀両替、銭売買、利息のこと、枡(ます)の法、検地、租税、川普請(ふしん)のことなど、日常に入用な計算を収録している。その翌年ごろ第5巻が出版された。大きな数の計算、数学遊戯などを載せたもので、これがのちには『塵劫記』の特徴となった。1631年に、この五巻本が整理されて美濃版三巻本となった。1634年には美濃半裁の小型本4巻が出版された。これは従来の版とはまったく異なったものである。続いて1641年には美濃半裁の小型三巻本が出版された。この版は、大きな数の計算が非常に多いのが特徴である。そして、この版には3巻末に、答えをつけない12題の問題(いわゆる遺題)を載せている。これが元になって日本の数学は飛躍的に進歩した。ついで1643年美濃版三巻本が出版された。これは従来の版を総合したもので、以後この版が『塵劫記』の定本とされるに至った。その後『塵劫記』の類版は引き続き刊行され、明治の末に至っている。
[大矢真一]
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吉田光由(みつよし)の著した数学書。1627年(寛永4)刊。光由は京都の豪商角倉(すみのくら)氏の一族。初版以来,需要が多く増刷・増補がくり返された。31年の改訂では多色刷りの挿絵が入った。多色刷りの初見。41年版に難題12問を出題し,遺題継承が始まる。明治期まで愛読され,多くの出版物に大きな影響を与えた。度量衡,八算・見一(けんいち)(帰除法),租税,求積,利息,両替,測量など当時必要とされる計算がすべて含まれている。割算(八算・見一)の説明は詳しく図解され,さらに掛戻しのかたちで掛算も図解され,自習できるよう丁寧に説明されている。和算は本書から始まったといえる。「江戸初期和算選書」所収。
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…遺題承継とも。1627年(寛永4)初版の《塵劫記》はベストセラーとなり,何回も改版された。41年に小型3巻本に改版したとき,著者の吉田光由はこの書の巻末に12問の難問を掲載し,世間の数学者に挑戦した。…
…出版年は不明であるが,今日伝わる書は1659年(万治2)が初版と思われる。吉田光由が《塵劫記(じんごうき)》(1627)を著作して,初歩から中級程度の入門書として広く読まれたが,《改算記》は《塵劫記》の次にベストセラーとなり,幕末まで愛読された。“塵劫”が数学あるいは珠算の意味に用いられるようになったのに対し,《改算記》はそこまではいかなくとも,《改算塵劫記》のような書名が現れるほどによく知られていた。…
…最古の数学パズル書と見られる,バシェ著の《愉快で楽しい問題》には多くの代数パズルがあり,その中には百五減算の原形である六十減算や油分け算も含まれている。百五減算は吉田光由の《塵劫記》下巻(1631),中根彦循の《勘者御伽双紙》上巻にも紹介されており,相手の年齢を当てるパズルである。今,相手の年齢を3,5,7で割ったときの余りを尋ね,その返事がa,b,cであったとする。…
…明治以前の日本人が研究した数学。研究者により,その初めを,(1)上古,(2)1627年(寛永4)刊の吉田光由著《塵劫記(じんごうき)》,(3)74年刊の関孝和著《発微算法(はつびさんぽう)》とする3通りがある。
[奈良・平安時代]
養老令(718)によれば,官吏養成のための学校である大学寮を設置し,現在の中学生くらいの少年がここで勉強した。…
※「塵劫記」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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