20世紀日本人名事典 「槇哲」の解説 槇 哲マキ アキラ 明治・大正期の実業家 生年慶応2年11月10日(1866年) 没年昭和14(1939)年5月30日 出生地越後国(新潟県) 学歴〔年〕慶応義塾大学理財科〔明治23年〕卒 経歴越後長岡藩士の次男に生まれる。慶応義塾監督、舎監を務めたのち、明治29年北越鉄道に入り、倉庫係のとき新潟・亀田間鉄橋破壊事件にあい、修復に手腕を発揮した。のち王子製紙を経て、台湾塩水港製糖に転じ、40年常務、大正6年社長に就任。昭和3年社長を辞すが、8年再び社長に復帰した。この他台湾花蓮港木材、新日本砂糖工業、東北砂鉄各社長を務め、植民地経営に情熱を燃やした。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報