槻橋村(読み)つきのきばしむら

日本歴史地名大系 「槻橋村」の解説

槻橋村
つきのきばしむら

[現在地名]河東町倉橋くらはし

北東藤倉ふじくら村、北は難波野なにわの分、南は吹屋ふきや川。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に槻木橋とあり、高五七五石余とあるが、「此内七十七石御算用違ニ引」と注記され、右肩に四九八石余が記される。代田組に属し、文化一五年(一八一八)の村日記では高五二一石余。化政期の家数二一(新編会津風土記)。明治四年(一八七一)の家数二一・人数一〇六(人員録)。同八年倉道くらみち村など四村と合併して倉橋村となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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