朝日日本歴史人物事典 「宥範」の解説
宥範
生年:文永7(1270)
鎌倉後期・南北朝時代の真言宗の僧。讃岐(香川県)善通寺の中興の祖。宥鑁とも記し,「ゆうばん」ともいう。讃岐国那珂郡櫛梨荘出身。幼くして善通寺で受戒し,浄土教を学ぶ。その後,無量寿院覚道に師事し,東密(東寺密教)小野流の秘奥を究める。関東に下向し下野(栃木県)小俣鶏足寺の頼尊のもとに赴き,三宝院流慈猛方を受法する。次いで下野衣寺の宥祥に『大日経疏』を学び,覚剣と共にその講伝を記録した『見聞問答』30巻(のちの『妙印抄』80巻)を著す。宥祥の勧めにより,山科(京都府)安祥寺光誉に従って安祥流を学び一流(宥範方)を開く。元徳3/元弘1(1331)年善通寺に帰住し,その中興の大事業を行い,また著作に専念した。<参考文献>卍元師蛮『本朝高僧伝』17巻
(井野上眞弓)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報