…しかし85年4~7月,豊臣秀吉が大軍をもって四国征伐を企てると長宗我部氏はもろくも降服,戦後処理として讃岐には秀吉の将仙石(せんごく)秀久が派遣されその支配が行われるに至った。 鎌倉末・南北朝から戦国時代は地方文化の時代でもあったが,代表的な建造物として坂出市神谷神社本殿,三豊郡豊中町本山(もとやま)寺本堂があり,真言の僧宥範(ゆうはん)や増哞(ぞううん)の活動にはいちじるしいものがあった。また山崎宗鑑の来住と活動も注目される。…
…しかし,出土古瓦などの研究により,すでに白鳳期から佐伯氏の氏寺があったとの推定もある。歴代天皇の崇信と保護は厚く,寺領荘園の寄進が続き,鎌倉中期に全盛期を迎えたが,1340年(興国1∥暦応3)全山炎上,そのあと中興の祖とされる宥範(ゆうはん)(1270‐1352)が,足利氏歴代の外護(げご)で10余年の歳月をかけて堂塔を復興した。しかし戦国末期に再び兵火のため炎上し,現存堂宇のほとんどは近世に入って,高松,丸亀両藩主らの援助による再建である。…
※「宥範」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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