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宥範 ゆうはん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宥範 ゆうはん

1270-1352 鎌倉-南北朝時代の僧。
文永7年生まれ。真言宗。郷里讃岐(さぬき)(香川県)無量寿院の覚道,下野(しもつけ)(栃木県)鶏足寺の頼尊らにまなぶ。のち下野衣寺の宥祥の大日経の講義をまとめて「大日経疏妙印鈔(しょう)」をあらわす。讃岐善通寺を修造し,同寺中興の祖とよばれた。観応(かんのう)3=正平(しょうへい)7年7月1日死去。83歳。号は大弐房。法名は宥鑁ともかき,「ゆうばん」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

宥範

没年:文和1/正平7.7.1(1352.8.11)
生年:文永7(1270)
鎌倉後期・南北朝時代の真言宗の僧。讃岐(香川県)善通寺の中興の祖。宥鑁とも記し,「ゆうばん」ともいう。讃岐国那珂郡櫛梨荘出身。幼くして善通寺で受戒し,浄土教を学ぶ。その後,無量寿院覚道に師事し,東密(東寺密教)小野流の秘奥を究める。関東に下向し下野(栃木県)小俣鶏足寺の頼尊のもとに赴き,三宝院流慈猛方を受法する。次いで下野衣寺の宥祥に『大日経疏』を学び,覚剣と共にその講伝を記録した『見聞問答』30巻(のちの『妙印抄』80巻)を著す。宥祥の勧めにより,山科(京都府)安祥寺光誉に従って安祥流を学び一流(宥範方)を開く。元徳3/元弘1(1331)年善通寺に帰住し,その中興の大事業を行い,また著作に専念した。<参考文献>卍元師蛮『本朝高僧伝』17巻

(井野上眞弓)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の宥範の言及

【讃岐国】より

…しかし85年4~7月,豊臣秀吉が大軍をもって四国征伐を企てると長宗我部氏はもろくも降服,戦後処理として讃岐には秀吉の将仙石(せんごく)秀久が派遣されその支配が行われるに至った。 鎌倉末・南北朝から戦国時代は地方文化の時代でもあったが,代表的な建造物として坂出市神谷神社本殿,三豊郡豊中町本山(もとやま)寺本堂があり,真言の僧宥範(ゆうはん)や増哞(ぞううん)の活動にはいちじるしいものがあった。また山崎宗鑑の来住と活動も注目される。…

【善通寺】より

…しかし,出土古瓦などの研究により,すでに白鳳期から佐伯氏の氏寺があったとの推定もある。歴代天皇の崇信と保護は厚く,寺領荘園の寄進が続き,鎌倉中期に全盛期を迎えたが,1340年(興国1∥暦応3)全山炎上,そのあと中興の祖とされる宥範(ゆうはん)(1270‐1352)が,足利氏歴代の外護(げご)で10余年の歳月をかけて堂塔を復興した。しかし戦国末期に再び兵火のため炎上し,現存堂宇のほとんどは近世に入って,高松,丸亀両藩主らの援助による再建である。…

※「宥範」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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