橋本増治郎(読み)はしもと ますじろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「橋本増治郎」の解説

橋本増治郎 はしもと-ますじろう

1875-1944 明治-昭和時代前期の実業家
明治8年4月28日生まれ。44年快進社をつくって自動車の国産化をめざし,大正3年「ダット号」(のちの「ダットサン」)を完成。昭和6年経営権を戸畑鋳物(現日産自動車)にゆずった。昭和19年1月18日死去。70歳。愛知県出身。東京工業学校(現東京工業大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の橋本増治郎の言及

【自動車産業】より

…1902年ボディのみ国産の乗合自動車,07年エンジンも含め完全国産乗用車がそれぞれ製作されているが,いずれも町の発明家レベルにとどまっていた。11年に至り,橋本増治郎により快進社自働車工場が創業され,同社はその後株式会社快進社となり,輸入自動車の修理のかたわら,13年小型乗用車を製造した。この車は後援者の田健治郎,青山禄郎,竹内明太郎の頭文字を取り〈DAT(ダツト)〉号と名づけられた。…

※「橋本増治郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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