檜垣庄(読み)ひがいのしよう

日本歴史地名大系 「檜垣庄」の解説

檜垣庄
ひがいのしよう

興福寺領荘園、常楽会の料所であった。延久二年(一〇七〇)の興福寺雑役免帳の添上郡に「檜垣庄一町 常楽会免田 六条二里廿七坪五反、卅四坪五段」とある。この条里によると、檜垣庄の所在は現横田よこた町に比定される。

寿永二年(一一八三)の興福寺政所下文(内閣文庫蔵)

<資料は省略されています>

とみえる。これによると、延久以後も興福寺領として存続していること、忠弘が給主(預所か)となっていることがうかがえるが、進官坪付(雑役免帳か)に照合したところ、三六町余があるなどの記載がみられるが、先記の雑役免帳では檜垣庄は一町となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む