檜牧荘(読み)ひのまきのしょう

改訂新版 世界大百科事典 「檜牧荘」の意味・わかりやすい解説

檜牧荘 (ひのまきのしょう)

大和国宇陀郡(現奈良県宇陀市,旧榛原町)の荘園。〈ひまきのしょう〉ともいう。田数7町余。920年(延喜20)ころ県清理によって開発された。1061年(康平4)の文書に荘号が初めて見える。牧が荘園に発展した代表的な例。1198年(建久9)後鳥羽上皇護持僧であった長厳が,開発以来11代目の伝領者平盛相から譲得し,七条院に寄進した。この時点で本家職が七条院,領家職が長厳,下司職は平盛相の子孫が伝承するという職の体系が成立,以後本家職は七条院領として伝領された。領家職は,長厳を祖とする教令院門跡すなわち長厳-道厳-忠瑜と伝領されたが,1296年(永仁4)ころ忠瑜から教令院代々院主の菩提所枯木庵(こぼくあん)に寄進され,同庵勤行奉行玄雲-真瑜に伝領された。1341年(興国2・暦応4)領家職をめぐり興福寺修南院と教令院の間に相論があり,北朝の雑訴沙汰で教令院側の正統性が裁許された。62年(正平17・貞治1)領家職が真瑜から東寺御影堂へ寄進され,それ以来東寺領となった。このとき相伝文書も施入されたので,同荘関係文書が現在《東寺百合文書》のなかに伝わっている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の檜牧荘の言及

【檜牧荘】より

…大和国宇陀郡(現,奈良県榛原町)の荘園。〈ひまきのしょう〉ともいう。田数7町余。920年(延喜20)ころ県清理によって開発された。1061年(康平4)の文書に荘号が初めて見える。牧が荘園に発展した代表的な例。1198年(建久9)後鳥羽上皇の護持僧であった長厳が,開発以来11代目の伝領者平盛相から譲得し,七条院に寄進した。この時点で本家職が七条院,領家職が長厳,下司職は平盛相の子孫が伝承するという職の体系が成立,以後本家職は七条院領として伝領された。…

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