欲賀村(読み)ほしかむら

日本歴史地名大系 「欲賀村」の解説

欲賀村
ほしかむら

[現在地名]守山市欲賀町

森川原もりかわら村の東にあり、南辺を西流するさかい川を境に蘆浦あしうら村・長束なつか(現草津市)と対する。文和二年(一三五三)五月一日の足利義詮袖判下文(本間文書)によれば、欲賀郷闕所分が摂津国奈佐原なさはら(現大阪府高槻市)半分の替所として本間石河又四郎季光に宛行われた。郷内中里は応永四年(一三九七)までには分割されており、同年六月二三日には各々半分が本間又四郎詮季と本間蔵人季光に安堵された(「足利義満袖判下文」同文書)。享禄三年(一五三〇)には歎賀(欲賀)郷内の屋敷一所が直銭一五貫五〇〇文で大連坊住忠から弥左衛門へ売渡され(同年三月二五日「僧住忠屋敷売券案」醍醐寺文書)、天文八年(一五三九)六月六日には弥左衛門から一四貫文で秀治に売渡された(同年六月二〇日「大蓮坊屋敷買得次第注文」同文書など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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