武久村(読み)たけひさむら

日本歴史地名大系 「武久村」の解説

武久村
たけひさむら

[現在地名]下関市武久たけひさ町二丁目の全域、および幡生本町はたぶほんまち幡生宮の下はたぶみやのした町・山の田南町やまのたみなみまち・武久町一丁目・汐入しおいり町の各一部

現下関市の南西部にあたり、村の南部を武久川がひびき灘に注ぐ。南は大坪おおつぼ、北は垢田あかだ、東は幡生はたぶの各村に接する。長府藩領で東豊浦郡前支配に属する。

嘉禎四年(一二三八)六月一五日付の赤間関阿弥陀寺文書(「寺社証文」所収)に「武久」とみえる。永禄一一年(一五六八)四月一三日付南方九左衛門家文書(「閥閲録」所収)に「武久七拾貫之内四拾貫、南方宮内少輔ニ遣置候」とみえ、毛利元就から南方宮内少輔が武久七〇貫のうち四〇貫をもらっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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