武藤 武雄
ムトウ タケオ
- 肩書
- 元・衆院議員(社会党),総評初代議長
- 生年月日
- 大正5年3月20日
- 出生地
- 茨城県那珂郡山方町
- 学歴
- 小貫農〔昭和5年〕卒
- 経歴
- 常磐炭鉱の会社系鉱夫として勤め、昭和21年常磐炭鉱労働組合連合会の初代組合長となり、22年炭労(後の日本炭鉱労働組合)会長を経て25年総評結成と共に初代議長。26年の中央メーデーでは占領軍命令に従い中止。27年の労闘スト(破壊活動防止法案の国会審議、労働法規改悪反対)では、撤回から修正闘争に切り替えて炭労のストを延期させた。このため炭労臨時大会で不信任、委員長を解任され総評議長も辞任した。この後、出身の常磐炭鉱は全労系の全国石炭鉱業労組(全炭鉱)に加盟。33年福島3区、社会党から衆院選に立ち当選。35年民社党から立候補した衆院選には落選した。
- 没年月日
- 昭和53年10月20日
出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報
武藤 武雄
ムトウ タケオ
昭和期の労働運動家,政治家 総評初代議長;元・衆院議員(社会党)。
- 生年
- 大正5(1916)年3月20日
- 没年
- 昭和53(1978)年10月20日
- 出生地
- 茨城県那珂郡山方町
- 学歴〔年〕
- 小貫農〔昭和5年〕卒
- 経歴
- 常磐炭鉱の会社系鉱夫として勤め、昭和21年常磐炭鉱労働組合連合会の初代組合長となり、22年炭労(後の日本炭鉱労働組合)会長を経て25年総評結成と共に初代議長。26年の中央メーデーでは占領軍命令に従い中止。27年の労闘スト(破壊活動防止法案の国会審議、労働法規改悪反対)では、撤回から修正闘争に切り替えて炭労のストを延期させた。このため炭労臨時大会で不信任、委員長を解任され総評議長も辞任した。この後、出身の常磐炭鉱は全労系の全国石炭鉱業労組(全炭鉱)に加盟。33年福島3区、社会党から衆院選に立ち当選。35年民社党から立候補した衆院選には落選した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
武藤武雄 むとう-たけお
1916-1978 昭和時代後期の労働運動家。
大正5年3月20日生まれ。昭和21年常磐(じょうばん)炭鉱労組初代組合長,22年炭労会長,25年日本労働組合総評議会(総評)初代議長。27年破防法阻止闘争の際,炭労大会で不信任案が可決され炭労委員長,総評議長を辞任した。33年衆議院議員(社会党),35年民社党にうつり落選。昭和53年10月20日死去。62歳。茨城県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
武藤 武雄 (むとう たけお)
生年月日:1916年3月20日
昭和時代の労働運動家。総評初代議長;衆院議員
1978年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報