改訂新版 世界大百科事典 「炭労」の意味・わかりやすい解説
炭労 (たんろう)
正式名称は日本炭鉱労働組合。連合に加盟。1947年12月,産別会議系の全炭(全日本炭鉱労働組合)主導の炭協(炭鉱労働組合全国協議会。当時,炭鉱労組の唯一の全国連合組織)を脱退した中間派の炭連(日本炭鉱労働組合総連合会)と右派の日鉱(日本鉱山労働組合)および純中立系諸単組が協議体組織として結成した日本炭鉱労働組合同盟が前身。翌48年6月,日本炭鉱労働組合連合会と改称。49年3月,組織解散と炭労加盟を決めた炭協残留派の全石炭(全日本石炭産業労働組合。炭協分裂後,全炭を中心に結成)系各支部を順次吸収,炭鉱労働戦線の完全統一を達成したが,同年11月,少数派で最右派の日鉱が左派との統一を嫌って炭労を脱退(日鉱はのち全労会議を経て同盟に加盟。名称を全国炭鉱労働組合と変更),以降,炭労は全国炭鉱労働者の大多数を傘下におさめ,その後,炭鉱労働運動の主導権を握った。50年4月,単一組織に改組し現名称に改称。52年4月,破防法反対闘争第1波ストを回避した執行部を大会で不信任,これを機に炭労は企業内組合色の払拭(ふつしよく),産業別統一闘争指向を鮮明にして,戦闘的労働運動に転換していく。同年11月,賃金闘争で単産規模としては例のない63日間にわたる長期ストを行い,労働運動界のリーダー的地位を確立するとともに,みずから結成に力を尽くした総評(初代議長には当時の炭労委員長が就任)の中核単産として1950年代から60年代初頭にかけて,日本の労働運動の牽引車的役割を果たした。しかし,エネルギー革命のもとで展開された三池争議の終結とともに逐次後退を余儀なくされ,現在に至っている。国際的には国際自由労連および国際鉱山労連に加盟している。組織人員は最盛時(1950)42万人,96年6月には1400人だったが,2004年11月解散した。
執筆者:森山 昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報