毛文竜(読み)もうぶんりゅう(その他表記)Máo Wén lóng

改訂新版 世界大百科事典 「毛文竜」の意味・わかりやすい解説

毛文竜 (もうぶんりゅう)
Máo Wén lóng
生没年:1576-1629

中国,明末の武将。振南と号す。山西省平陽(現,臨汾市)生れ。1605年(万暦33)遼東総兵官李成梁に仕え,同年武科に及第した。清軍が遼陽を陥落させると,21年(天啓1)広寧巡撫王化貞のもとで遊撃となり兵200名を率い遼東半島沿いの諸島民を慰撫し,同年7月鴨緑江下流の鎮江を奪回した。しかし同月末,鎮江が清軍に奪いかえされたので,彼は朝鮮の椵島(皮島)や身弥島に入り,椵島に東江鎮を設け八営を置いて根拠地とし,清軍を背後から攪乱した。その功により24年11月左都督に任ぜられたが,権勢が増すにつれ驕慢となり,商人を搾取し朝鮮の物資を奪い海外天子を自称したので山海関軍門袁崇煥に憎まれ,崇禎2年6月双島(水師営西)で袁崇煥に殺された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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