改訂新版 世界大百科事典 「袁崇煥」の意味・わかりやすい解説
袁崇煥 (えんすうかん)
Yuán Chóng huàn
生没年:?-1630
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…深溝を掘り,城壁の守りを堅くするとともに,田野にあるものいっさいを除去して,敵を苦しめる戦術をいう。無城郭の広範囲な郷村防衛の例として,嘉慶の白蓮教の乱を鎮圧した勒保,龔景瀚(きようけいかん)等の策,城郭都市防衛の例として,無敵を誇る清の太祖ヌルハチを寧遠城に死守して敗走させた袁崇煥の策が知られている。【勝村 哲也】。…
…これに対処するために万暦の遼餉(りようしよう)に加えて勦餉(そうしよう),練餉など多額の田土付加税を新設したが,徴収は思うにまかせず軍費はかさむ一方であった。こうしたとき,帝は清の反間策に乗じられ,讒言(ざんげん)を信じて東北辺防衛の中心的人物袁崇煥を誅殺してしまった。以後辺防に人才がなくなり明の防衛力は急速に弱まった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」