鎮江(読み)ちんこう(その他表記)Zhèn jiāng

改訂新版 世界大百科事典 「鎮江」の意味・わかりやすい解説

鎮江 (ちんこう)
Zhèn jiāng

中国江蘇省西部の市。面積約253km2。人口70万(2000)。長江デルタ揚子江デルタ地帯)の頂点にあり,西は山地(寧鎮山地)を隔てて長江流域への入口にあたり,北へ長江を渡れば淮河(わいが)流域に通ずる江南の水陸交通の要衝金山,北固山,焦山(京口三山)など,平野中に独立峰がそびえ,居住や防御基地設定に有利である。

 早くから北方の文明が江南へ進出する拠点になり,春秋戦国時代から朱方,谷陽の名で知られていた。秦は丹徒県を置き,漢もこれを引き継いだ。呉の孫権は建業(南京)に都を建てる前に,ここに都城を築き京城(のち京口)と称した。その後六朝時代を通じて建業の東をおさえる要地として重視された。隋になると延陵県と改め潤州を置いた。これまでにも長江デルタの各地では部分的に運河で結ばれ,とくに三国時代には鎮江より南の丹陽へも運河が開かれ,鎮江を頂点とした水路網が形成されていたが,隋の煬帝(ようだい)に至って,これらを統合した大運河が完成し,鎮江は江北・江南をつなぎ,江南の物資集散地として,対岸揚州と並んで,全国交通の中心となった。港津発達とともに都市の規模も拡大し,政治的重要性も増加し,唐中期には鎮海軍節度使が置かれ,五代を通じて江南の一方での重鎮であった。宋には鎮江軍節度使が置かれ,鎮江府と改められた。このころは都市の手工業も発達し,絹織物業などは南京,蘇州と並んで栄えた。鎮江の交通位置は清末の列強侵略にあたっても注目され,天津条約(1858)によって開港され,海関,租界も設けられた。山水を兼ね備えた自然美は〈天下第一江山〉(甘露寺石碑)といわれており,山上の寺院をはじめ文化財も多い。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鎮江」の意味・わかりやすい解説

鎮江
ちんこう / チェンチヤン

中国、江蘇(こうそ)省南西部の地級市。揚子江(ようすこう)の南岸に位置する。3市轄区を管轄し、丹陽(たんよう)など3県級市の管轄代行を行う(2016年時点)。人口272万0700(2014)。市は、古くは朱方(しゅほう)または京口(けいこう)とよばれ、秦(しん)代に丹徒(たんと)県、隋(ずい)・唐代には潤州(じゅんしゅう)が設置され、宋(そう)代以降鎮江府の治所となった。辛亥(しんがい)革命後に丹徒県と改められ、1928年鎮江県と改称、一時、江蘇省政府が置かれたのち、1949年に鎮江市が置かれた。

 古来、南北交通路である大運河と東西交通路である揚子江との交差点として、北岸の揚州(ようしゅう)とともに重視された。滬寧(こねい)城際鉄道(上海(シャンハイ)―南京(ナンキン))が通り、蘇南と蘇北を結ぶ交通の中枢であり、揚子江下流の重要河港の一つとして特産物の集散が盛んである。特産として香醋(こうさく)(酢(す))、肴肉(こうにく)、醤菜(しょうさい)(みそ漬けの野菜)がある。機械や化学、製紙などの工業が発達している。郊外には焦山、金山、北固山など名勝・旧跡も多い。

[林 和生・編集部 2017年2月16日]

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百科事典マイペディア 「鎮江」の意味・わかりやすい解説

鎮江【ちんこう】

中国,江蘇省中南部の都市。旧名京口。長江と大運河の交点に位置し,京滬(けいこ)鉄路(北京〜上海)に沿う。古来,南北交通の要地で,英国が租界を置いたこともある。江北の小麦,大豆油と江南工業品との交易地。104万人(2014)。

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