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民主カンプチア(読み)みんしゅカンプチア(その他表記)Democratic Kampuchea

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「民主カンプチア」の意味・わかりやすい解説

民主カンプチア
みんしゅカンプチア
Democratic Kampuchea

民主カンボジアともいう。反ロン・ノルの赤いクメール (ポル・ポト派) を中核とするカンプチア民族統一戦線が 1976年1月に樹立した政権。ポル・ポト首相 (カンプチア共産党書記長) らは貨幣の廃止,都市の解体,知識人の抑圧など中国型農村社会主義改造を強行し,大量虐殺さえ辞さなかったため,ジェノサイド政権であるとの国際的非難を浴びた。対外的には親中国路線をとり,親ソ連派に傾斜していたベトナムと衝突,78年 12月にはベトナム軍の侵攻によって首都を追われた。ポル・ポト派は 82年6月,シアヌーク派,ソン・サン派とともに民主カンプチア連合政府 (シアヌーク大統領) を設立,ベトナム占領下に設立されたカンプチア人民共和国 (ヘン・サムリン政権) に対するゲリラ闘争を展開した。 1980年代末以来の地域国際環境の激変を受けてカンボジア和平機運が高まると,90年2月,国名をカンボジアに変更,ヘン・サムリン政権との一定の歩み寄りに着手し,同年9月にはヘン・サムリン政権とともにカンボジア主権の象徴とされる最高国民評議会 SNCを結成した。

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