池松文雄(読み)イケマツ フミオ

20世紀日本人名事典 「池松文雄」の解説

池松 文雄
イケマツ フミオ

昭和期のジャーナリスト 元・毎日新聞取締役論説主幹。



生年
明治36(1903)年5月8日

没年
昭和44(1969)年8月6日

出生地
熊本市黒髪町

学歴〔年〕
九州帝国大学法文学部〔昭和4年〕卒

経歴
昭和3年東京日日新聞(現・毎日新聞)に入り、政治部、ラングーン支局長、政治部長、論説委員、論説委員長を経て、33年取締役論説主幹、36年中部本社代表となった。39年に退社、アジア調査会事務局長となり、吉田茂、東畑精一会長の下でアジア調査会育成に尽力した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「池松文雄」の解説

池松文雄 いけまつ-ふみお

1903-1969 昭和時代の新聞人。
明治36年5月8日生まれ。俳人池松常雄の長男。昭和4年東京日日新聞社(現毎日新聞社)にはいり,ラングーン支局長,政治部長,取締役論説主幹などを歴任。36年中部本社代表となる。退任後アジア調査会事務局長。昭和44年8月6日死去。66歳。熊本県出身。九州帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例