知恵蔵 「沢穂希」の解説
沢穂希
小学校に上がる頃、1歳上の兄の影響でサッカーを始めた。当時は女子チームがなかったため、小学2年生になると男子に混じって試合に出るようになる。その頃からテクニックもぶつかっていく勇気も男子以上だったと伝えられている。「なぜ女の子がサッカーを」といじめられることもあったが、「私はプロになって見返してやるからと思いなさい」という母の言葉など家族に支えられ、持ち前の負けん気と努力でぐんぐん上達していった。
中学に上がり、読売(現・日テレ)SCベレーザのユースチームに入団すると、すぐにトップチームに抜擢(ばってき)され、全国リーグに出場するようになる。中学3年生、15歳で日本代表に選ばれ、1995年のFIFA女子ワールドカップ・スウェーデン大会、96年のアトランタ・オリンピックに出場。その後、帝京大学に進学するが、高いレベルのサッカーを目指して99年に中退し、アメリカのコロラド・デンバー・ダイヤモンズに。翌年アトランタ・ビートに移籍して活躍。だが、2004年、アメリカ女子サッカーリーグWUSA休止により帰国、日テレ・ベレーザに再入団した。11年、INAC神戸レオネッサに移籍。
日本代表として18年間、5回のワールドカップ、3回のオリンピックを経験しており、優勝した11年のFIFA女子ワールドカップ決勝で、代表としての通算ゴール数80を記録。これは、釜本邦茂の75を大きく超えた男女を通じての日本代表最多得点記録になる。FIFAによって同大会の大会最優秀選手(MVP)と得点王に選ばれた。
(菘(すずな)あつこ フリーランス・ライター / 2011年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報