日本歴史地名大系 「河道庄」の解説 河道庄かわみちのしよう 滋賀県:東浅井郡びわ町河道村河道庄現川道(かわみち)・南浜(みなみはま)・大浜(おおはま)の辺りにあった京都法勝(ほつしよう)寺(跡地は現京都市左京区)末の鳥羽上皇御願寺宝荘厳院領庄園。「民経記」寛喜三年(一二三一)七月二一日条に「宝荘厳院領速水河道庄」とみえる。元徳二年(一三三〇)一月、後醍醐天皇が同院を東寺に寄進したため、速水(はやみ)庄(現湖北町)とともに東寺の管領下に入った(同月二八日「綸旨案」白河本東寺文書)。文和二年(一三五三)当庄の本主少納言法眼(預所か)に修正壇供の究済が命ぜられているが(同年正月一一日「後光厳天皇綸旨」東寺文書)、未進が続いたらしく、延文三年(一三五八)東寺は得分三分の一で孫夜叉丸に所務職(預所職)を宛行っている(「宝荘厳院評定引付」東寺百合文書)。しかし夜叉丸はまったく納入せず、貞治元年(一三六二)頃に宝荘厳院が匡遍法印に与えられてしまい、当庄の支配は混乱した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by