法柳村(読み)ほうやぎむら

日本歴史地名大系 「法柳村」の解説

法柳村
ほうやぎむら

[現在地名]京ヶ瀬村法柳

阿賀野川右岸に位置し、北東法柳新田南西深堀ふかほり村。明応三年(一四九四)九月二六日の原宗安・同能秀連署譲状案(大見水原氏文書)に「白河庄下条之内はうやき名」とあり、原宗安らは「御ひめ様・まつ御れう人・おうち子」の三人に法柳、山口やまぐち(現水原町)小里おさとのミスミ田二一〇束苅、同所くねからみ五〇〇苅、土屋敷の田三一〇束苅などを譲っている。近世は新発田藩岡方組の十四ヶ村組に属し、寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)に家数一一・人数八四とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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