深堀
ふかほり
中世にみえる彼杵庄内の地名。建武五年(一三三八)一〇月二一日の深堀時定注進状(深堀文書、以下同文書)に「彼杵庄深堀浦」とみえ、当浦の地頭深堀孫太郎入道(時通)代の子息弥六(時定)が筑後国瀬高庄(現福岡県柳川市)で番役を勤仕している。この頃彼杵庄戸町浦の地頭深堀孫太郎入道子息弥六とも自称しているので(建武五年一〇月二七日深堀時定注進状)、深堀浦とは深堀氏にちなんだ戸町浦の別称であったのかもしれない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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