波立村(読み)はつたちむら

日本歴史地名大系 「波立村」の解説

波立村
はつたちむら

[現在地名]黒磯市波立

東は唐杉からすぎ村、南は和田わだ村、北は塩野崎しおのさき村。南西部をくま川が流れる。天正一八年(一五九〇)大田原氏が豊臣秀吉に安堵された所領のうちに「波立」があり、一四八石九斗二升(「大田原藩領知覚書」伊藤安雄文書)。以後大田原藩領。慶安郷帳によれば村高は畑方のみであった。奥州街道大田原宿の大助郷四八石を勤めた(「大田原宿宿方明細書上帳」大田原市教育委員会蔵)。正保四年(一六四七)巻川まきがわ用水が村内を流れた。天保年間(一八三〇―四四)の家数は西方洞島とうじま村を合せて一〇(改革組合村)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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