津久良海郷(読み)つくろうみごう

日本歴史地名大系 「津久良海郷」の解説

津久良海郷
つくろうみごう

現富津市竹岡たけおかを含む一帯に比定される。造海つくろうみ城などとみえる城郭百首ひやくしゆ城と同一であろう。建武四年(一三三七)とされる相馬乙鶴丸代妙蓮申状(相馬岡田文書)に「上総国三直・津久良海・真利谷等郷」とみえ、たびたびの合戦の賞として一族中に預けられた当郷などを乙鶴丸に与えるよう求めている。応永二四年(一四一七)一〇月一七日の鎌倉公方足利持氏料所所進状(上杉文書)に「上総国あまうの郡の内、はきうつくらうミの郷」とあり、もと皆吉伯耆守の所領であった当郷などを「あのゝ局」に与えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報