津和野藩船屋敷跡
つわのはんふなやしきあと
[現在地名]廿日市町桜尾本町
桜尾山の西麓、廿日市の市街地の東端にあった。石見国津和野藩主は参勤交代に際し、石見津和野路を南下して当地に止宿し、ここより海路をとって室津(現兵庫県揖保郡御津町)へ上陸するのを通例とした。
「済美録」元和六年(一六二〇)の記事に「廿日市ニ而亀井大力殿ヘ被遣候御屋敷間数覚、一、五拾間西東、一、三十六間北南」とあるのがそれで、寛永八年(一六三一)には船屋敷地のほかに、船を係留する船入地が四至を定めて広島藩から引渡された(津和野亀井記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 