津嘉山村(読み)ちかざんむら

日本歴史地名大系 「津嘉山村」の解説

津嘉山村
ちかざんむら

[現在地名]南風原町津嘉山つかざん

照屋ていーら村の西、高津嘉山たかちかざんから連なる丘陵の南側に展開する。絵図郷村帳に「つかさん村」、琉球国高究帳に「つかざん」とみえ、高究帳によると村頭一三一石余、うち田一〇四石余・畠二六石余。乾隆検地以後玉那覇たんなふあ村を統合したと考えられる。「琉球国由来記」には高津嘉山之嶽・コバウノ嶽・伊計之嶽・津嘉山巫火神・里主之殿・下名嘉真之殿の六拝所が津嘉山ノロの管轄、ヰイノ嶽が玉那覇ノロ管轄としてみえる。一八八〇年(明治一三年)ののろくもい役俸によると、津嘉山ノロの作得表高米六斗余・雑石六斗余、現収高米二石二斗余。地頭は津嘉山巫火神で稲穂祭三日崇のとき五水二合を、里主之殿では稲二祭のとき神酒を捧げる(前掲由来記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 琉球藩雑記

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む