日本歴史地名大系 「絵図郷村帳」の解説
絵図郷村帳
えずごうそんちよう
解説 薩摩鹿児島藩や幕府への唐船漂着や異国方に関する報告に地名などの異同がないように、享保二一年に上リ絵図郷村帳の使用文字と現使用文字とを対照して作成した各間切・島およびこれに属する村名を、同治一〇年の文書(琉球国諸島共上絵図郷村帳文字并当時相用候文字記帳・異国方)のなかから、東恩納寛惇がノート(史料ノート九)に写しとったもの。ノートは県立図書館東恩納寛惇文庫蔵。上リ絵図郷村帳は慶安二年に鹿児島藩が幕府に正保国絵図を提出した際に作成されたものと思われるが、確認されていない。しかし正保三年絵図帳写や宮古八重山両島絵図帳の原本がそのもととなっているものと思われる。「当時無之」と注される村は享保二一年の対照簿作成の段階には現存しない村と考えられる。琉球国絵図史料集第二集に収載。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報