…平安末期,保元の乱のころ大和国の蕪坂源太基重が弓射を試みたのが通し矢の最初というが,伝説の域を出ない。その後1606年(慶長11)正月,尾張藩士浅岡平兵衛が51本の通し矢を行ったことが記録に残っており,しだいに盛んになった。通し矢には大矢数,日矢数(小矢数),千射,百射などの種類があり,大矢数は夕方から翌日の夕方までの24時間,小矢数は日中または夜中12時間のうちに射通した矢数を競い,千射,百射はその限られた本数のうちの通し矢数を競う方法である。…
※「浅岡平兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」