日本歴史地名大系 「浅草新谷町」の解説 浅草新谷町あさくさしんたにまち 東京都:台東区旧浅草区地区浅草新谷町[現在地名]台東区西浅草(にしあさくさ)三丁目・千束(せんぞく)一丁目浅草芝崎(あさくさしばざき)町の北にある。明治五年(一八七二)伊予新谷藩加藤氏上屋敷、旗本小笠原氏屋敷地および曹洞宗本然(ほんねん)寺・万隆(ばんりゆう)寺、臨済宗妙心寺派智光(ちこう)院、日蓮宗幸龍(こうりゆう)寺・慶印(けいいん)寺の寺地を合併して成立。江戸時代には町名がなく、単に浅草田圃(あさくさたんぼ)とのみ称していた(東京案内)。町名は新谷藩上屋敷にちなむ。本然寺は寛永一七年(一六四〇)浅草御小人(あさくさおこびと)町で起立され、浅草新寺(あさくさしんてら)町金竜(きんりゆう)寺境内借地などを経て、享保一五年(一七三〇)現在地へ移った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by