日本歴史地名大系 「浦川内村」の解説 浦川内村うらかわちむら 佐賀県:東松浦郡厳木町浦川内村[現在地名]厳木町大字浦川内作礼(さくれい)山山系の蟻塚(ありづか)山と年畑(としはた)山の渓谷を流れる厳木川の支流浦川内川と、その支流平之(ひらの)川(日当(ひあて)川)の合流点を中心に形成された谷間の村。上松浦の内「七河内」の一つとされ、正保絵図に浦河内(うらかわち)村の村名がみえる。藩政期までは厳木郷から北部の五(ご)ヶ山(やま)郷への通路筋にあたっている。「松浦記集成」に「永仁年間より千葉氏の支配地で、秀島・木下・毛利の三氏が居住せるも、戦国期は波多氏に属すと言ふ」と記す。字下中原(しもなかばる)に渋江盛岩の墓があり、「大永六年三月十七日盛岩」と記す。盛岩は塩(しお)(潮)見(み)城主であった。字有の木(ありのき)に秀島備後守貞広の墓がある。これは本村庄屋秀島氏の祖で、もと牧瀬(まきせ)村にあったのを移したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by