日本大百科全書(ニッポニカ) 「浪花講」の意味・わかりやすい解説
浪花講
なにわこう
江戸後期、街道宿駅の風紀紊乱(びんらん)の弊風を打破するため結成された旅宿組合の一つ。これは1804年(文化1)大坂玉造上清水(たまつくりかみしみず)町(大阪市中央区東雲(しののめ)町通)の綿弓(わたゆみ)の弦(つる)師松屋甚四郎(じんしろう)と江戸の鍋屋甚八(なべやじんぱち)が講元(こうもと)、甚四郎の手代松屋源助が発起人となり、大坂より諸国に下る商人を浪花組に加入させて旅行鑑札を渡し、諸街道で誠実な宿屋を選んで、店頭に浪花組の招牌(しょうはい)を掲げさせた。そして、宿屋には浪花講の規定(賭博(とばく)、遊女買い、酒宴、喧騒(けんそう)などをする旅客の止宿禁止)の遵守を義務づけ、旅行者が浪花講の定宿帳を得て各宿駅ごとに招牌を目印に休泊できるようにしたので、大いに好評を博し、五街道、脇(わき)街道など全国に及び、三都講など類似の講も出現した。
[丸山雍成]
『大島延次郎著『日本交通史論叢』(1969・法政大学出版局)』