海智村(読み)かいちむら

日本歴史地名大系 「海智村」の解説

海智村
かいちむら

[現在地名]天理市海知かいち

なかツ道(橘街道)東に立地。西は武蔵むさし村。寛正四年(一四六三)の諸庄段銭成足帳(お茶の水図書館蔵大乗院文書)に「開知」、三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)には「海智庄」がみえ、「経覚私要鈔」宝徳三年(一四五一)二月一九日条に「長谷川海智庄与森屋山論事在之 仍及合戦云々」とあり、「大乗院雑事記」に海智庄の記事が散見する。

慶長郷帳の村高四〇一・七八五石、幕府領(代官北見五郎左衛門)。元和郷帳には脱落しているが、寛永郷帳から推定して、村高のうち二六・三三五石は元和五年(一六一九)郡山藩(松平忠明)領に、残る三七五・四五石は旗本佐久間実勝領となったらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む