20世紀日本人名事典 「渡辺鼎」の解説
渡辺 鼎
ワタナベ カナエ
明治・大正期の医師 衆院議員。
- 生年
- 安政5年9月7日(1858年)
- 没年
- 昭和7(1932)年7月18日
- 出身地
- 陸奥国河沼郡(福島県)
- 旧姓(旧名)
- 渡部
- 学歴〔年〕
- カリフォルニア大学医学部〔明治21年〕卒
- 経歴
- 英学・理化学・医学などを修学後、米国に留学しカリフォルニア大学に入学、明治21年卒業。在米中、サンフランシスコで医師を開業。帰国後、23年福島県若松町(現・会津若松市)に会陽医院を開設。会津五郡医会会長、福島県医学会副会長、若松実業市民会長となる。この間、陸軍軍医試補、ついで二等軍医となり、10年西南戦争、27年日清戦争に従軍。憲兵隊医官、野戦病院院長などを務め、のち同博済病院付属医学校講師長、大阪医事研究会会長、大日本通俗衛生会幹事、軍医学会幹事を務めた。また25年衆院議員に当選、2期務める。同年野口英世の左手の手術を行い、26年から書生となった野口に医学を教えた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報