日本歴史地名大系 「湯島棟梁屋敷」の解説 湯島棟梁屋敷ゆしまとうりようやしき 東京都:文京区旧本郷区地区湯島棟梁屋敷[現在地名]文京区湯島(ゆしま)二丁目・同四丁目湯島天神門前(ゆしまてんじんもんまえ)町の西に位置する。切通(きりどおし)坂の通り(現春日通)の南に開けた片側町で、通りを挟んで北は湯島切通片(ゆしまきりどおしかた)町・麟祥(りんしよう)院、小浜金之助の屋敷、南は徒方組屋敷、西は本郷春木(ほんごうはるき)町。かつては湯島郷に含まれていたという。徳川家康が関東に入国した際、遠州浜松(はままつ)(現静岡県浜松市)から同行し、作事棟梁を勤めた者たちの子孫で、代々棟梁役を勤めた一〇人が享保元年(一七一六)本郷金助(ほんごうきんすけ)町東裏通に屋敷を拝領した(元禄年間に拝領ともいう)。しかし同所は場所柄が悪かったため、享保一二年その頃松原だった当地を替地として拝領、新たに町屋としたのが当町で、町名は棟梁の拝領地だったことに由来(御府内備考)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by