本来の意味は建物の棟(むね)と梁(はり)を指したが,これらが高くそびえる位置にあり,また建物の重要な部分であることから,集団の中心的人物,指導的立場にある人物を指すようになった。〈統領〉〈頭領〉も同じ意である。中世では武家の一門など血縁集団や,一国・一郡といった地域集団,また寺社の衆徒などを統率する人物をいった。中世末から近世にかけ大工・左官をはじめとする職能集団の指導的人物を指すようになる。
棟梁の中で歴史学上もっとも重要なのは,武家の棟梁で,源義家が〈武士の長者〉(《中右記》)と呼ばれたのは同じ意味である。平安時代後期から中世にかけては,桓武平氏,清和源氏のように,地方武士を全国的に統率した最上級の武士をさした。また中世の興福寺の衆徒では,その中の特に代表として統率したものを棟梁と呼び,筒井氏が一乗院方の,古市(ふるいち)氏が大乗院方の衆徒の棟梁であった。
執筆者:上横手 雅敬
一般には指導的立場を務める大工を棟梁と呼ぶ。このほか建設に関与する職人の指導者を鍛冶,左官などの職種ごとに棟梁と呼び,大工棟梁をはじめ,鍛冶棟梁,左官棟梁などと呼んだ。大工棟梁が棟札(むなふだ)などから確認できるのは15世紀以降である。中世までは建築職人の分業がすすまず,工事組織は血縁的なものか,社寺等に従属する座などの閉鎖的なものであった。それが近世に向かって,大工,木挽(こびき),左官,屋根葺,鍛冶など,職人の専門的な分化がすすみ,一方,城郭や町の建設がさかんとなるにつれ,閉鎖的な組織を打ち破って造営工事を合理的に運営する,新しい組織を必要とするようになって,棟梁という個人的技能に基づく工事指導者と組織が成立していったといえる。江戸幕府の建設に関与する職制では,作事方(さくじかた)に大工頭-大棟梁(だいとうりよう)-大工棟梁,小普請方(こぶしんかた)に大工棟梁,大鋸(おが)棟梁・石方棟梁があった。このうち諸職の棟梁たちを統率する大棟梁は,棟梁たちの棟梁という意味である。これらは幕府から役料を支給されて公儀普請を監督したものであるが,民間においても工事指導者を,敬意をこめて棟梁と呼ぶようになった。日本の建築は木造が主体であるため,工事全体を見通す立場にふさわしいのは,工事の最初から最後まで働く大工である。それは種々の職人を統率するにもふさわしいことを意味しており,ことに18世紀以降は工事の入札請負制が普及して,工事全体を監督指導する大工を棟梁と呼ぶようになり,逆に棟梁といえばしだいに大工を指すようになった。
執筆者:乾 宏巳+西 和夫
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諸国武士団の統率者。一般には集団の指導者の意味で、頭領とも書く。平安時代末の有力武士団の長には、一国の棟梁、家門の棟梁などとよばれる者がいたが、それら全体の統率者とみなされたのが「武家の棟梁」「武門の棟梁」である。その始まりは、10世紀なかばの平将門(まさかど)の乱を鎮圧した平貞盛(さだもり)、藤原秀郷(ひでさと)の末裔(まつえい)たちが、その武力を認められて摂関家など中央貴族の家人(けにん)となって奉仕するかたわら、諸国の武士団を統率するようになったことにある。東国における武家の棟梁は、平忠常(ただつね)の乱(1028)、前九年・後三年の役を経て清和源氏(せいわげんじ)の長者(ちょうじゃ)の占めるところとなり、一方西国においては、伊賀(いが)、伊勢(いせ)を拠点に院政権と結び付いて成長した桓武平氏(かんむへいし)の長者が棟梁と考えられる。治承(じしょう)・寿永(じゅえい)の乱後、源頼朝(よりとも)は鎌倉に幕府を開き、武家の棟梁として全国に君臨した。なお江戸時代以降、棟梁はおもに大工の頭(かしら)、職人集団の指導者をさすようになる。
[鈴木国弘]
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集団の中心・指導的人物。統領・頭領なども同意。もとの意味は建物の棟(むね)と梁(はり),家屋全体や屋根を支える重要部分のこと。武家集団・寺社の衆徒や郡・郷住人を束ねる者,ことに近世には大工・左官などの職能集団の統率者をさすことが多くなった。(1)武家の棟梁。武士の長者とよばれた源義家などが代表例。清和源氏・桓武平氏などの棟梁が地方武士を統率した。(2)職人の棟梁とされる大工棟梁は,15世紀以降の棟札などにみられる。近世に入ると大工・木挽(こびき)・左官・鍛冶など職人の専業化が進み,それぞれを束ねる棟梁が存在したが,ことに建築全体を統轄する大工が重要視され,江戸幕府の作事奉行には大工頭・大棟梁・大工棟梁などが職制にくまれ,大棟梁は諸職の棟梁を統率した。
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…工事規模が小さくても,また座の規模が小さくても,統率者は大工である。大工の人数は増加し,かつての従五位下の位階を持つような,そして工事全体を統轄するような役目の者を大工と呼ぶことができなくなり,全体を統轄するものを惣大工,御大工,棟梁などと呼ぶようになった。 また,中世には木工の長を示す語として〈番匠〉の語が使われている。…
…とくに,大工,左官,木挽(こびき)など建築関係の職人たちは〈太子講〉という講の組織のもとで,強い結束を保持していた。太子講の寄合は例年正月ないし2月に行われ,各組別に棟梁たちが集まる場合と,各組の棟梁の全員の集会とがあった。江戸の木挽仲間の例をみると,例年正月22日に各組の全棟梁と年寄が茶屋に集合し,さらに26日に各組別の集会が行われている。…
※「棟梁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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