湯本堰
ゆもとせぎ
足柄下郡箱根町湯本より小田原市荻窪まで、開削路と隧道によって早川を約七キロ引水した用水。現在は大部分が暗渠となる。手段堰ともよび(風土記稿)、昭和に入って荻窪堰、現在は荻窪用水が一般的である。
寛政九年(一七九七)に着工し、同一一年に完成した。灌漑地域は入立田村・風祭村・水尾村・荻窪村で、約六〇町歩の畑地を水田とした(「御代官所集勧化願書并新堰控」万松院文書)。小田原藩の公費による開削で、川村岸(現足柄上郡山北町)の川口広蔵はこの工事の功により年々米五俵を給された(二宮尊徳全集)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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