漢軍八旗(読み)かんぐんはっき

旺文社世界史事典 三訂版 「漢軍八旗」の解説

漢軍八旗
かんぐんはっき

漢人で構成された清朝八旗兵制)の1つ
清の太祖ヌルハチは満州八旗を規定したが,南下にともない,太宗ホンタイジのとき蒙古八旗,漢軍八旗が新設された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の漢軍八旗の言及

【八旗】より

…そしてたとえば黄旗でもふちどりのない旗を正黄旗,ある旗を鑲黄旗というように呼んだ。 清国の拡大とともに八旗中にモンゴル人や漢人が増えたので1635年(天聡9)満州八旗から蒙古八旗が分設され,42年(崇徳7)漢軍八旗が設けられた。44年清朝が北京に都を定めると,八旗の将兵も北京やその近郊に移住し禁旅八旗とか京旗とか呼ばれた。…

※「漢軍八旗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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