潤野村(読み)うるのむら

日本歴史地名大系 「潤野村」の解説

潤野村
うるのむら

[現在地名]飯塚市潤野

龍王りゆうおう山の東麓、明星寺みようじようじ川の中流に位置し、北は花瀬はなせ村・大日寺だいにちじ村、南は丘陵を挟んで小正おばさ(現穂波町)。保元元年(一一五六)粥田経遠は所領の「嘉摩・穂浪郡内合(屋)・平(恒)・潤野三箇村」を延勝えんしよう(現京都市左京区)に寄進している(宇佐大鏡)。建長二年(一二五〇)六月二日の藤原資経処分状案(勧修寺家文書/鎌倉遺文 補遺編三)には延勝寺領筑前国穂並ほなみ(穂浪)庄内潤野とあり、平安時代末期―鎌倉時代の当地は穂浪ほなみ(本家勧修寺家・領家延勝寺)の庄域に含まれていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

顔や四肢に特有の紅斑がみられる疾患で,伝染性紅斑の俗称。パルボウイルスの感染によって年長幼児,低学年児童に好発し,乳児や成人には少ない。1〜2週間の潜伏期ののち突然発疹が出る。発疹は両ほおに対称的に生...

リンゴ病の用語解説を読む