牛沼新田
うしぬましんでん
下新井村の南にあり、西は所沢村。もとは所沢村の内で、享保九年(一七二四)七月分村して枝郷牛沼分と称したという(郡村誌)。だが寛永二一年(一六四四)の所沢と前沢(現東京都東久留米市)での鷹狩の際に「うしのぬま」から人足八人が徴発されており(「前沢御鷹野割留帳」平塚家文書)、延宝六年(一六七八)の御鷹場絵図(徳川林政史研究所蔵)によれば、尾張徳川家鷹場村のうちに「漆ノ間村」がみえている。一方、元文寛保延享里正日誌(東京都内野家文書)によれば、享保一〇年開発に着手した村として牛沼村があり、元文元年(一七三六)の検地により高五九石余となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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