所沢市(読み)トコロザワシ

デジタル大辞泉 「所沢市」の意味・読み・例文・類語

ところざわ‐し〔ところざは‐〕【所沢市】

所沢

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日本歴史地名大系 「所沢市」の解説

所沢市
ところざわし

面積:七二・〇〇平方キロ

県南端に位置し、東は入間いるま三芳みよし町、新座にいざ市および柳瀬やなせ川を境として東京都清瀬市、西は入間市・東京都西多摩にしたま瑞穂みずほ町、南は狭山丘陵を隔てて東京都武蔵村山市・同東大和市・同東村山市、北は川越市・狭山市に接する。市域北部は古多摩こたま川により開析されてできた武蔵野台地上にあり、南部を狭山丘陵が東西に延びる。東部は北東流するあずま川・柳瀬川に臨む低地。武蔵野台地は北野きたの地区より東方に延び、下新井しもあらい南永井みなみながい坂之下さかのしたに連なる下末吉面、その北側に沿って糀谷こうじや小手指原こてさしはらを経てみどり町・北原きたはら町・下富しもとみ・中富、三芳町上富へと続く武蔵野面、不老としとらず川沿いに入間市下藤沢しもふじさわからはらを経て狭山市入曾いりそへと細長く分布する立川面などに区分される。狭山丘陵の標高は周囲の武蔵野台地より約四〇―六〇メートル高く、開析が激しく、多数の谷が発達している。丘陵内の柳瀬川源流部には狭山湖(山口貯水池)がある。西武池袋線と西武新宿線が所沢駅で交差して市域ほぼ中央部をいずれも南東から北西に通り、西武池袋線西所沢駅から西の狭山湖方面へ西武狭山線が分れる。南東部をJR武蔵野線が通る。東端を関越自動車道が北西へと走り、坂之下に所沢インターチェンジが設けられている。東から所沢駅一帯の市街地を通って北西へ国道四六三号が通る。市街地を中心に北へ主要地方道所沢―川越線が、西武新宿線・西武池袋線に並行して主要地方道所沢―狭山線が走る。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡ではじま砂川すながわ遺跡があり、同遺跡から発見された七〇〇点以上の石器群のうちには製作技法の特徴から砂川型と名付けられたナイフ形石器がある。同遺跡東方の北野の中砂なかすな遺跡をはじめ、市域にはそのほか一五ヵ所以上に及ぶ旧石器遺跡が確認されている。縄文時代草創期の遺跡は市域にはみられず、早期から後期の遺跡がある。縄文時代前期の集落跡はしろの城遺跡がある。同時代中期になると台地上に大規模な定住集落が営まれ、北野の白旗塚しらはたづか遺跡、山口の膳棚やまぐちのぜんだな遺跡、本郷の西上ほんごうのにしがみ遺跡などがある。だが急激な人口増加のため食物資源の確保が不安定になったためか、中期後半に集落は途絶え、終末期より後期初頭には集落規模を縮小し立地も台地斜面に移行して営まれ、後期中葉には消滅する。中期の遺跡からは大量の土器が出土しているが、北野の高峰たかみね遺跡、安松やすまつ和田わだ遺跡などからは長野県・山梨県のやつたけ山麓地方に分布する藤内式や井戸尻式と同じ文様をもつ土器群が多数発見され、西上遺跡からは八ヶ岳山麓より山梨県域に分布する曾利式土器が出土しており、中部地方と関係の深い縄文文化が展開した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「所沢市」の意味・わかりやすい解説

所沢〔市〕
ところざわ

埼玉県南部ほぼ中央,武蔵野台地から狭山丘陵の東部にある市。 1950年市制。 55年柳瀬 (やなせ) ,三ヶ島 (みかじま) の2村と合体。中心市街地の所沢は,江戸時代から昭和初年まで所沢絣集散地であった。 1910年日本で最初の陸軍飛行場が設置され軍都として発展。飛行場跡は,所沢航空記念公園として整備されている。 1960年代になって,西武鉄道新宿線の新所沢駅周辺をはじめ,同池袋線・狭山線の沿線に大規模な住宅団地が建設され,急速に住宅都市化した。農村部では狭山茶などのほかホウレンソウ,サトイモなどの露地野菜の生産が多い。東部に関越自動車道所沢インターチェンジがあり,松郷 (まつごう) 工業団地,所沢総合食品地方卸売市場などが立地。北東部に武蔵野新田の土地割りがよく残る三富 (さんとめ) 新田の中富,下富集落が,北西端に小手指ヶ原の古戦場跡がある。南西部に狭山湖多摩湖および西武園遊園地があり,狭山県立自然公園に指定。面積 72.11km2。人口 34万2464(2020)。

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