日本歴史地名大系 「狩底村」の解説 狩底村かりぞこむら 宮崎県:東臼杵郡椎葉村狩底村[現在地名]椎葉村大河内(おおかわうち) 狩底・雨木(あまぎ)臼杵俣(うすきまた)村の西に位置し、北東流する小崎(こざき)川右岸に位置する。大河内掛一六ヵ村の一つで、掛内三組のうち川野口組に属する。村内には小村として野地(のじ)村・茂ろ谷(もろだに)村・たの本(もと)村・長野(ながの)村がある(延享三年「村覚」那須家文書)。年月日未詳の山田宗昌覚書(山田文書)によれば、天正五年(一五七七)島津軍が伊東氏の本拠都於郡(とのこおり)(現西都市)に迫るなか、豊後落ちを決意した伊東義祐は一二月七日野尻(のじり)(現野尻町)を立ち、都於郡などを経て、同月二二日「かりそこ」に至っている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by