日本歴史地名大系 「玉造中町」の解説 玉造中町たまつくりなかのちよう 大阪府:大阪市東区玉造中町[現在地名]東区玉造(たまつくり)一―二丁目玉造栢木(たまつくりかやのき)町の南に延びる両側町で、西は吉右衛門肝煎地(きちえもんきもいりち)・玉造禰宜(たまつくりねぎ)町など。稲荷中之(いなりなかの)町ともよばれ、「天保町鑑」に稲荷中之町として玉造稲荷の「うら門の南」と記される。明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図にも「いなり中町」とみえる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)三郷水帳寄帳では屋敷数四〇・役数四五役で、うち年寄分・会所分各一役が無役。年寄は万屋小兵衛。安政三年(一八五六)には屋敷数三一・役数四五役で、うち町内へ預地畑地一役があり、また年寄分・会所分各一役が無役であった(同年「水帳絵図」大阪商業大学蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報