瓦土取場
かわらつちとりば
[現在地名]南区谷町六―七丁目
御用瓦師寺島惣左衛門が寛永七年(一六三〇)に南瓦屋町北東続きに拝領し、瓦土取場に利用した土地(大阪市史)。野模または高原とも称され、「天保町鑑」には「野ばく」として「瓦土とり場と云、から堀北へ下ル所よりあんどうじ橋すぢ坂下迄、東は谷町うらより西ハ松や表町南手まで、高原とも云」とある。西成郡に属し、天和三年(一六八三)頃の摂津国御料私領村高帳では一二六石余。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 