田中新吾(読み)タナカ シンゴ

20世紀日本人名事典 「田中新吾」の解説

田中 新吾
タナカ シンゴ

明治〜昭和期の農芸化学者 日本塩学会会長。



生年
明治12(1879)年

没年
昭和28(1953)年8月10日

出生地
和歌山県安楽川村

学歴〔年〕
東京農科大学卒

経歴
明治38年大蔵省専売局に入る。以来、製塩技術の改良・研究に努め、40年千葉県津田沼、42年山口県三田尻の試験場長を歴任、ST式塩釜を開発したほか真空式蒸発法やカナワ式製塩の工業化に成功するなど製塩業の発展に大きく貢献した。また、加圧式蒸発法や海水利用工業についても研究。大正12年同局技術課長であった奥健蔵後任となり、塩業の近代化に尽力。昭和12年に退官、26年日本塩学会が発足すると、初代会長に就任した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「田中新吾」の解説

田中新吾

没年:昭和28.8.10(1953)
生年:明治12(1879)
明治大正期,製塩技術の研究開発をすすめた研究者,吏僚。和歌山県安楽川村に生まれ,東京農科大学で農芸化学を専攻。明治38(1905)年発足したばかりの大蔵省専売局(技術課長は奥健蔵)へ入る。40年に津田沼(千葉県),42年三田尻(山口県)試験場長となり,真空式蒸発法やカナワ式製塩の工業化に成功,またST式塩釜を開発した。これらの導入によって塩業は大きく発展した。さらに加圧式蒸発法から海水利用工業まで幅広い研究を進めた。大正12(1923)年奥課長の跡を継ぎ,合同機械製塩などの塩業近代化を推進。昭和12(1937)年退官。26年日本塩学会初代会長。

(村上正祥)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中新吾」の解説

田中新吾 たなか-しんご

1879-1953 明治-昭和時代の製塩技術者。
明治12年生まれ。38年大蔵省専売局にはいり,千葉県津田沼,山口県三田尻の試験場長を歴任。ST式塩釜を開発。真空式蒸発法やカナワ式製塩の工業化を実現した。日本塩学会初代会長。昭和28年8月10日死去。74歳。和歌山県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android