日本歴史地名大系 「田代新田」の解説 田代新田たしろしんでん 三重県:桑名郡木曾岬村田代新田[現在地名]木曾岬村田代・栄(さかえ)木曾川左岸堤防沿いにあり、北に近江島(おうみじま)新田・西対海地(にしたいがんじ)新田、南に雁(がん)ヶ地(じ)新田、東に見入(けんにゆう)川を挟んで小和泉(こいずみ)新田がある。寛文元年(一六六一)星野久太夫の手により開発された(長島細布)。宝暦四年(一七五四)四月、宝暦治水工事の分担が決まり、下流の尾張梶島(かじしま)新田(現愛知県立田村)から田代新田までを二ノ手として薩摩藩が担当、この村に出張小屋を定め宿泊した。翌年一月幕吏竹中伝六が工事にからんで田代新田庄屋星野久太夫宅で自刃している(木曾岬村史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報