田島勝太郎(読み)たじま・かつたろう

朝日日本歴史人物事典 「田島勝太郎」の解説

田島勝太郎

生年生没年不詳
明治維新期の仏語・蘭語の通詞。江戸下谷出身。餝職人から長崎で通詞となった田島平助の娘。元治1(1864)年,父が暗殺されたため,江戸に出て勝奴の名で一時芸者となり,父と下谷時代から親交のあった榎本武揚に偶然会った。榎本は勝奴の天才的語学力を生かし,かつまたその生活を救おうと勝太郎の名で男装をさせ,幕府海軍の通詞とした。その語学力は耳学問であったが,他の通詞よりよく通じ,重宝がられたという。五稜郭の戦(1869)の際は無事脱出したが,その後の消息は不明である。子母沢寛が『才女伝』(『子母沢寛全集』25巻)として小説化し,有名になったが,架空人物説もある。

(栗原弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田島勝太郎」の解説

田島勝太郎 たじま-かつたろう

1879-1939 大正-昭和時代前期の官僚,政治家
明治12年8月10日生まれ。農商務省にはいり,八幡製鉄所理事,福岡鉱山監督局長,商工次官などを歴任。その間八幡市会議員,東京市助役をつとめた。昭和7年衆議院議員(当選3回,民政党)。昭和14年1月28日死去。61歳。大分県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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