田島勝太郎(読み)タジマ カツタロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田島勝太郎」の解説

田島 勝太郎
タジマ カツタロウ


肩書
衆院議員(立憲民政党)

生年月日
明治12年8月

出身地
大分県

学歴
東京帝国大学独法科〔明治39年〕卒

経歴
農商務属、水産講習所教授兼水産局書記官、農商務書記官、東京、福岡各鉱山監督局長、商工次官を歴任。昭和7年衆院議員に初当選。以来連続3回当選。第1次近衛内閣では逓信政務次官を務める。また八幡市会議長、東京市助役、臨時産業審議会幹事長などを務めた。

没年月日
昭和14年1月28日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

朝日日本歴史人物事典 「田島勝太郎」の解説

田島勝太郎

生年生没年不詳
明治維新期の仏語・蘭語の通詞。江戸下谷出身。餝職人から長崎で通詞となった田島平助の娘。元治1(1864)年,父が暗殺されたため,江戸に出て勝奴の名で一時芸者となり,父と下谷時代から親交のあった榎本武揚に偶然会った。榎本は勝奴の天才的語学力を生かし,かつまたその生活を救おうと勝太郎の名で男装をさせ,幕府海軍の通詞とした。その語学力は耳学問であったが,他の通詞よりよく通じ,重宝がられたという。五稜郭の戦(1869)の際は無事脱出したが,その後の消息は不明である。子母沢寛が『才女伝』(『子母沢寛全集』25巻)として小説化し,有名になったが,架空人物説もある。

(栗原弘)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田島勝太郎」の解説

田島勝太郎 たじま-かつたろう

1879-1939 大正-昭和時代前期の官僚,政治家
明治12年8月10日生まれ。農商務省にはいり,八幡製鉄所理事,福岡鉱山監督局長,商工次官などを歴任。その間八幡市会議員,東京市助役をつとめた。昭和7年衆議院議員(当選3回,民政党)。昭和14年1月28日死去。61歳。大分県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android