昭和前期に政友会に対抗して二大政党制を形づくってきた政党。正称は立憲民政党。1927年2月に憲政会と政友本党は提携して憲本連盟を結び,それ以来,両党の間に新党を樹立する気運が高まって,この年の6月1日,合同して生まれたのが民政党である。これは,政友会の総裁田中義一の組閣に際し,政友本党としては,いまさら政友会に復帰することはできないとし,また,党を維持することも困難であることから,憲政会と合同して政友会に対処するほうが得策であると判断して実現した。党首,党則,政策などの決定は憲政会のイニシアティブのもとに行われた。
民政党の結党式は,東京の上野精養軒で,1000余名の来会者をえて行われ,党総裁に浜口雄幸,顧問に前憲政会総裁若槻礼次郎,政友本党総裁床次(とこなみ)竹二郎,および山本達雄,武富時敏が就任し,富田幸次郎,町田忠治,松田源治,安達謙蔵,斎藤隆夫ら10人が総務となった。そして,党の政綱に,国民の総意を帝国議会に反映し,議会中心の政治を徹底すること,国家の力により生産を活発にして分配を公正にし,社会不安の禍根を除去すること,国際正義を国交のうえに貫き,人種平等,資源公開の原則を拡充していくこと,品性を陶冶(とうや)し,学習の機会を均等にし,教育の実際化を期すこと,立法・行政・地方自治の陋習(ろうしゆう)を打破し,改造の実現を期すことを掲げた。こうして,民政党は,社会政策の実行と労資関係の合理化,農山漁村の振興・自作農の維持創定・小作問題解決の促進,財政的基礎の整理・国際貸借の改善・金解禁実現,市町村義務教育中の教員俸給全額国家負担の実現,行政組織の改造,任用制度の革新など7項目,その後,国民の自由擁護のための新聞紙法・出版法・行政執行法等々の改正を具体的に提示し,好評をもって迎えられた。ちなみに社会民衆党委員長の安部磯雄も,無産政党との違いを確認しながらも,民政党の〈進歩的政策綱領〉を評価した。
普選の時代にふさわしい政策を打ち出した民政党は,1928年2月20日の第16回総選挙(普選第1回)で無産政党等を交じえて政友会と戦い,その結果,与党の政友会の217人に対し216人の当選者を獲得し,勢力伯仲ぶりを示した。その後,床次ら30余人が脱党したが,29年7月,田中内閣のあとを受けて浜口が組閣した。浜口内閣は,国民精神作興,綱紀の粛正,対中国外交刷新,軍備縮小の完成とともに財政の整理緊縮と金解禁の断行を,十大政策の形で掲げ,民政党の政策を体系化したのである。こうして,30年2月の第17回総選挙では政友会の174人の当選数に対して,273の議席を確保し,ロンドン軍縮会議では,海軍軍令部の強硬な反対を抑えて条約の締結と批准に成功した。政党内閣の面目躍如たるものがあった。しかし,政府のこの措置に対して,海軍はこれを統帥権干犯であると攻撃し(統帥権干犯問題),この問題がきっかけとなって,浜口首相が狙撃され,31年4月に政権を若槻と交代する。この前後から昭和恐慌の深刻な影響のもとで,民政党内閣の産業合理化,行財政整理,金解禁,協調外交という内政・外交は行き詰まり,軍部・右翼からの批判が強まりはじめ,11月安達謙蔵内相らの協力内閣運動(安達は内外の問題解決行詰りを打破すべく,政友会の久原房之助,床次らと呼応して,挙国一致による組閣を企てたが,失敗した)により,若槻内閣は崩壊し,安達らは脱党した。このため,32年2月の第18回総選挙では,民政党は146議席に激減し,五・一五事件後の斎藤実,岡田啓介の二つの内閣時代には準与党的態度をとった。この間,33年10月から政友会との〈政民連携運動〉には一時熱意を示したが,政友会が野党色を強めるにつれ解消し,34年11月若槻総裁の辞意表明から翌年1月,町田忠治が総裁に就任するころまで,党内では動揺を繰り返すことになる。こうしたなかでも,民政党は,37年5月,林銑十郎内閣打倒に政友会とともに気勢をあげたことがあるが,36年2月の第19回総選挙,翌年4月の第20回総選挙で,それぞれ205人,179人と政友会を抑えて第一党になったものの,二・二六事件後は,軍の圧力のまえに後退を余儀なくされはじめた。
こうした状況のなかで,1940年2月第75議会で斎藤隆夫が民政党の代表質問演説に立ち,日中戦争処理を糾明し〈東亜新秩序〉声明を痛烈に批判する反軍演説問題で陸軍の強硬意見により議会からの除名を受け,この事件をきっかけに,政党は陸軍の態度に進んで迎合していき,自滅の道をたどることになる。民政党は,この年の近衛文麿の新体制運動にはもっとも消極的であったが,7月永井柳太郎らの新体制を擁護する積極派40人が脱党するに及んで,8月15日,やむなく解党するはめに陥った。
執筆者:金原 左門
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