田村山村(読み)たむらやまむら

日本歴史地名大系 「田村山村」の解説

田村山村
たむらやまむら

[現在地名]北会津村和合わごう

下荒井しもあらい村より茅津かいづ(現会津坂下町)を経て坂下ばんげ(現同上)に通じる道に沿い、南西たて村、南は荒田あらた村。阿賀川扇状地の扇端にあたるため、景勝かげかつ清水・うば清水がある。永正三年(一五〇六)一一月一五日の蘆名盛高・同盛滋連署判物案(会津旧事雑考)によれば「十二村郷之内、田村山之内在家二間」が七〇貫文で妙法みようほう(現会津若松市)に売渡されている。同日付の富田盛実副状案(同書)によれば、この「在家二間」は「年貢九貫五百、公事銭壱貫五百文、石米三斗此外上物少々」を負担している。この在家は蘆名氏の直轄領であったと思われる。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録では高三四九石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む